前田 栄三氏および齋喜 國雄氏による『タイ王国北部の旅(2011年の記録) ―タイ文化圏を往く―』(ヒマラヤ学誌 No.13, 319-330, 2012)を、ヒマラヤ学誌編集委員会(編集責任者;松林公蔵京都大学教授)の承諾を得て、掲載しています。

【添付資料】himalayan_study_monographs_no_13_p319-330_maeda.pdf/『タイ王国北部の旅(2011年の記録) ―タイ文化圏を往く―』 前田 栄三、齋喜 國雄 ヒマラヤ学誌 No.13, 319-330, 2012

~~~~~2012/8/24追記はここから~~~~~

頂いたコメント:「沙羅双樹の花」(写真5-1, 5-2)について『13号326ページの花の写真に「沙羅双樹」とあります。この木はギアナ原産のホウガンボクCannon-ball tree  Couroupita guianensis です。日本でナツツバキが沙羅の木と呼ばれるように、仏教が伝播した国では、それぞれの沙羅双樹を作り上げてきたようで、タイではホウガンボクが、「沙羅双樹」になっています。本当の沙羅の木は、フタバガキ科のサールの木 Shorea robustaで、ヒマラヤ山麓でみられる樹木です。

補足:日本では無常の象徴とされる沙羅双樹の花(ナツツバキの白い花)も、南国タイのこのような温もり一杯な花の色に驚き、お釈迦様はかような花々に囲まれて涅槃に入られたのだろうか等、想いを巡らせたのでした。仏教の3大聖木のことを調べたのも、この頃です。「分類」「学名」など、ご参考まで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%83%A5

~~~~~2012/8/24追記はここまで~~~~~

 タイ王国北部の旅(2011年の記録)
―タイ文化圏を往く―

前田 栄三、齋喜 國雄

アジアの旅の始まりは15年程前に遡る。中東地域と成田を定期的に往復する途次離着陸するバンコクのドンムアン国際空港は、私(前田)にとって文字通りのハブ空港となった。この間の訪問先は、ネパールのカトマンズ、中国雲南省の昆明/景洪、ラオスのヴィエンチャン/ルアンプラバン、ヴェトナムのホーチミン、カンボジアのシエムリアップ、タイ国内ではチェンマイ、チェンライ、メーホンソン、ナーン、プーケット、ハジャイ、サムイ島などである。何れも3~4日、長くて1週間程度の滞在であったが、それまで南周りの航路を利用することの無かった私には、実に興味深いアジアの旅路であった。

タイ王国国内でも、陸路、中部のパタヤ、チャアム、アユタヤ、カムチャナプリ、スコータイ、北部のメ-サイ、チェンセーン、北西部のパーイ、クンユアム等を訪問してきた。

実に漠然とではあるが、何時からともなく気になることがあった。雲南省シプソンパンナ/タイ族自治州の州都・景洪、ラオスの旧首都・ルアンプラバン、そしてタイ王国の北タイの諸都市(チェンマイ・チェンライ・メ-サイ・パーイ・メーホンソン)及びその近郊を訪問した際に感じた空気、換言すれば 自然の温もり、そこに住む人々の柔和な表情・笑顔、地域に密着した生活の様子、祭の踊り・鮮やかな衣裳など等、これら地域に共通するように感じたその空気、山懐或いは母親の懐に抱かれるような感慨は一体何だろう…、気になっていたことである。

ポンと膝を叩くような得心を得た思いがしたのは、「タイ(シャン)文化圏」という言葉に接した時である。2009年4月、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所のクリスチャン ダニエルス教授の研究室内の懇談でのことであった。

(以下、添付ファイルをご参照くださいませ。)

メーリングリスト

雲南懇話会メーリングリストにて、今後の講演会のご案内・関連情報を配信しております。こちらに示すいずれかの方法でご連絡いただければと思います。

著作権について

媒体の如何を問わず、本ホームページに掲載している全体または1部を転載或いは複製し、頒布などの目的による利用を希望される時は、事前にご連絡ください。詳しくは、著作権についてをご覧下さい。