平山 雄大氏(早稲田大学教育総合研究所)による『ブータンにおける初期近代教育事情の解明 ~近代教育50年史~』(ヒマラヤ学誌 No.17, 162-173, 2016)を、ヒマラヤ学誌編集委員会(編集責任者;松林公蔵京都大学教授, 奥宮清人京都大学准教授)の承諾を得て、掲載しています。

【添付資料】himalayan-17-162-ブータンにおける初期近代教育事情の解明、平山 雄大.pdf

ブータンにおける初期近代教育事情の解明
―近代教育50年史―

平山 雄大氏(早稲田大学教育総合研究所)

本稿は、統一された見解を見出すことが難しいブータンにおける初期の近代教育(modern education)事情に関して、信頼できる情報群から現時点で筆者が到達できうる限りの事実に迫ることを目的とする。

組織的かつ体系的な教育機関としてはチベット仏教の僧侶を養成するための僧院教育(monastic education)しか存在しなかったブータンにおいて、少数精鋭のエリート教育が開始されたのは王国成立後間もない1914年前後のことである。同国の学校で使用されている第12学年の歴史(ブータン史)教科書に目を通すと、1914年に46人の少年がインドのカリンポンに位置するドクター・グラハムズ・ホーム(Dr. Graham’s Homes)に留学したことが、近代教育によるブータン人の人材育成の始まりとされている。同年には初代国王Ugyen Wangchuck(在位1907~1926年)の右腕であったUgyen Dorjiによってブータン初の学校がハに設立され、その翌年には後継者―後の第2代国王Jigme Wangchuck(在位1926~1952年)―らの教育のために、ブムタンの王宮内に学校が設置された。

(以下、添付ファイルをご参照くださいませ。)

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