4番目には、奥山 直司氏(高野山大学文学部教授)から『日本人とチベット ―河口慧海のチベット旅行を中心として―』と題した発表をいただきました。
【添付資料】
20131207_27_04_席上配付資料:日本人とチベット.pdf
20131207_27_04_プロジェクタ資料:日本人とチベット(Web公開用再編集版).pdf
黄檗僧 河口慧海の足跡を日本からヒマラヤ・チベットへと辿りながら、日蔵関係の原点ともいうべき彼の探検行に秘められた夢と志について、語られた。日本人がチベットと関わりを持ちはじめたのは、日本が近代化の道を歩みはじめてからのこと。明治20年代(1887年~)から、日本仏教界には「入蔵熱」(チベット入国熱)が起こり、何人もの青年僧がチベットを目指した。その中で最初にチベットの都ラサに到達したのは黄檗僧河口慧海(1866-1945)であった。
お話は、九品仏浄真寺境内の碑文、宗教家→探検家→学者 というTriangle、堺の鉄砲鍛冶・職人、1900年7月4日チベット国境到達~1901年3月ラサ到着、克明な日記、肥下徳十郎の存在、彼はスパイではない、多くの植物標本を持ち帰った人物、ダージリンの佇まい、チョーマ・ド・ケーレス(ハンガリー人)など等、多岐に亘った。