講演内容の概要は、以下の通りです。
- 「6~70歳代のチベット、ネパールの山々」
-シシャパンマ中央峰,2004、メラ・ピーク,2013-
南井 英弘(日本山岳会評議員、関西学院大学山岳会)
2002年に新疆の秀峰ムスターグ・アタ(7546m)を無酸素で登り、8千m峰も夢ではないと意欲が湧いた。2003年のバルトロ氷河からゴンドコロ峠越えの厳しい経験から、2004年に初めて公募登山隊に参加し巨峰に登頂し得た。
この頃から注目していたネパールのメラ・ピーク。2013年10月に単独登頂を果たしたものの入山以来12日間連続して雨or雪という悪天候。アタック開始から帰着まで、連続22時間の行動を余儀なくされた。この間の反省・教訓・所感の一端を披露された。
- 「内モンゴル大草原の自然と伝統文化」
-生態移民の事例研究-
那(な)木(む) 拉(ら) (千葉大学外国人研究者)
内モンゴル大草原は遊牧地域である。遊牧民たちは遊牧文化を作り、草原で生活してきた。しかし、2000年頃に北京で砂嵐の被害が起きてから、放牧が砂嵐の原因と中国政府に指摘され、牧畜を草原から排除する「生態移民」政策が実施された。牧畜民たちは草原と伝統的家畜から離され、生態移民となって移住させられた。結果、「生態移民」政策は生態環境を回復できなかったし、逆に移住した牧畜民たちを経済的困窮に落とし、伝統的文化を喪失しつつある。その間の内モンゴルの様子を事例に基づき紹介された。
乳牛を生業として飼育する牧畜民、彼らの街に隣接して立地する石炭火力発電所の景観は、余りに痛々しい。
- 「大地に根差すチベット医学」
-ヒマラヤの薬草をめぐって-
小川 康(薬剤師、チベット医、森のくすり塾主宰)
チベット民族の健康を担う医師としての役割は勿論のこと、険しいヒマラヤ山中から薬草を採取して製薬する薬剤師の役割、祈りを捧げて御加持を込める僧侶の役割、歴史や文学、歌などに精通した学者としての役割、これら全てを担う存在がチベット医。
ヒマラヤの薬草を中心に、多様なチベット文化の世界を紹介された。
採取した約40kg もの荷(薬草)を背負い、飛び石伝いに川(急流)を渡る光景は、「チベット医は命がけ」との講師の言葉を如実に物語っている。 - 「チベット仏教の世界」
-仏教伝来からダライ・ラマへ-
吉水千鶴子(筑波大学人文社会系教授、哲学・思想専攻)
チベット民族には政治から人々の日常生活に至るまで、隅々まで仏教が浸透している。現在でも人口の90%は仏教徒であると言われている。
今回、チベットへの仏教伝来から17世紀のダライ・ラマ政権の誕生に至るまでのチベットの歴史を概説しながら、チベット仏教の世界を紹介された。
現在のチベット仏教の骨格である宗派とその教義は大よそこの時代までに出来上がった。そして、転生活仏を民族のリーダーと考える仕組みも作られた。チベット仏教とは、政治体制を支える理念であり、他国との外交手段であり、人心掌握の手段であり、哲学であり、信仰の対象であり、人々の心の支えである。この豊かな世界を、端緒に遡ってお話しされた。 - 「南極氷床を探る」
-氷床内陸探査史と氷床深層コア研究の成果-
渡辺 興亜(国立極地研究所名誉教授)
南極大陸上には面積約1200万平方Km、平均の厚さ1856mの雪氷層が分布し、巨大な氷床を形成している。南極大陸内陸部は国際地球観測年(1957−58)以前には地図の空白部であった。我国の南極観測は第1次隊から果敢に内陸探査を行い、昭和基地南方「みずほ高原」の自然を明らかにしていった。講演者らの構想に基づく研究計画は1970年代の「エンダ−ビ-ランド雪氷総合計画」を嚆矢とし、1980年代、1990年代と二つの計画に引き継がれ、現在では「みずほ高原」の地理、気候、雪氷学的状態らが明らかにし、みずほ高原最源流の「ドームふじ」での深層氷床掘削(3000深)に成功し、過去70万年の地球気候・環境変動の再現に成功している。この研究の道筋を概略紹介された。