- 「積雪期の知床半島縦走、2013年2~3月」
-近年の山岳部活動の様子も紹介!-
山口 尚紀(同志社大学山岳部、当時4回生)、齋藤 慎太郎(当時3回生)
2013年冬、同志社大学山岳部は知床半島の主稜線を縦走し、断崖が続く南東側海岸線を踏破した。リーダー小谷が知床縦走を構想して6年後、幾度かの偵察と、輪カン・雪洞・イグルーの経験を積み、実行に移した。厳しい風とハイマツ地獄に苦しめられた12日間の報告(報告者は山口君)である。齋藤君によると同大山岳部は現在、部員数20名とのこと。ブログには、日々の活発な活動が描写され、毎年の入部者数も堅調に推移し、各回生間のバランスもよく保たれている様子が記録されている。
【参考】
「流氷~知床岬から縦走、1971年3月」
山岸 久雄(京都大学山岳部、当時3回生)
京大山岳部の1971年3月の記録と共に、1952年12月の厳冬期に知床岬より知床岳間の初縦走に成功した、その時の記録も簡潔に紹介した。1952年(昭和27年)の計画は、ヒマラヤに挑戦する為の耐寒訓練の具体化でした。当時は現在と全く異なり、日本アルプスを遥かに超える厳しい寒冷環境にどう耐えるかが極めて重要な課題でした。ヒマラヤ挑戦のための耐寒能力の確認と国内での冬季初縦走というパイオニアワークを重ねた計画であった。
- 速報「地震直後のネパールランタン谷報告」
片岡 泰彦(大阪市立大学山岳会)
大阪市大はランタン谷には縁が深く、日本隊最初のヒマラヤ遭難は当会のランタン・リルンに始まっおり、ここ5年間「市大ランタンProj.」としてランタン谷へ登山隊を派遣してきた。今年は最奥のランタン・リの登山中に今回の地震に遭遇した。地震直後のランタン谷の状況写真を紹介された。会場のスクリーン一杯に映写された秀麗なランタン・リ山頂&山容、その地震直後の変貌ぶりが痛ましく、ランタン谷全域の被害の甚大さを象徴しているように感じた。
- 「ブータンにおける学校教育の歴史的変遷」
-学校教育100年史-
平山 雄大(早稲田大学教育・総合科学学術院 教育総合研究所助手)
ブータンにおける近代学校教育の誕生はおよそ100年前まで遡ることができる。1950年前後からは一般に開かれた学校教育が行われ現在に至っているが、特に先行研究や史資料が乏しい1990年代以前の状況に関しては不明点が多く、その詳細を描出することは難しい。同国の近代学校教育史を「黎明期」、「草創期」、「拡充期①」、「拡充期②」に分け、新情報を交えその変遷を概観された。50年前から、授業は英語で行なわれているとのことである。
- 「中央アジアの山国 タジキスタン、美しき自然と暮し」
-パミールの遺跡を中心に-
井手 マヤ(長距離サイクリスト、日英会議通訳、パミール・中央アジア研究会理事)
2005年以来ワハンを含めタジキスタンを7回旅行し、パミール各地の遺跡を視察した。19世紀以降ワハンを通過した探検家は数多くいるが、第2次大戦後のソ連時代までに古代遺跡を調査したのは、僅かに1890年代のオルフセン率いるデンマーク隊とハンガリーの考古学者オーレル・スタインのみ。今回は主にデンマーク隊とスタインの報告書、及びご自身の現地視察に基づき、ワハン及びタジキスタン領パミールの遺跡を中心に紹介された。
- 「納豆の起源」
-照葉樹林帯を横断、納豆文化の多様性を追う-
横山 智(名古屋大学大学院環境学研究科教授)
多くの日本人は、ネバネバと糸を引き、独特の臭いを放つ納豆は、日本の伝統食だと思っています。しかし、1970年代前半に、納豆は東南アジアやヒマラヤでもつくられていることが『照葉樹林文化論』で示されました。また中尾佐助の『料理の起源』(NHKブックス)では「納豆の大三角形」という説が提示され,納豆は中国雲南省で発祥したと論じられました。ところが,その後,納豆の起源を探る学術的調査は全く実施されていません。本発表では、これまで謎とされてきた東南アジアとヒマラヤの納豆文化の広がりを、多くの写真やデータを示しながら紹介し、納豆の起源に迫っていきます。2014年11月、『納豆の起源』を著わし、NHKブックスから出版している。
- 「東南アジアの環境変動とサルの進化」
-500万年の化石記録を読み解く-
高井 正成(京都大学霊長類研究所教授、AACK)
ミャンマーと中国南部で行っている鮮新世~更新世(約500万~15万年前)の霊長類を中心とした陸棲動物化石の発掘調査を継続しています。現在の東南アジアは雲南省南西部の横断山脈とその間を流れる大河が複雑な地形を形成し、さらにアジアモンスーン気候による季節性が特徴となっています。この東南アジアに生息する霊長類の進化史と、その背景となっている環境変動について話された。
1.「積雪期の知床半島縦走、2013年2~3月」-近年の山岳部活動の様子も紹介!- 同志社大学山岳部 (当時4回生)山口 尚紀、(当時3回生)齋藤 慎太郎
2013年冬、同志社大学山岳部は知床半島の主稜線を縦走し、断崖が続く南東側海岸線を踏破した。リーダー小谷が知床縦走を構想して6年後、幾度かの偵察と、輪カン・雪洞・イグルーの経験を積み、実行に移した。厳しい風とハイマツ地獄に苦しめられた12日間の報告(報告者は山口君)である。齋藤君によると同大山岳部は現在、部員数20名とのこと。ブログには、日々の活発な活動が描写され、毎年の入部者数も堅調に推移し、各回生間のバランスもよく保たれている様子が記録されている。
【参考】「流氷~知床岬から縦走、1971年3月」 京都大学山岳部 (当時3回生) 山岸 久雄
京大山岳部の1971年3月の記録と共に、1952年12月の厳冬期に知床岬より知床岳間の初縦走に成功した、その時の記録も簡潔に紹介した。1952年(昭和27年)の計画は、ヒマラヤに挑戦する為の耐寒訓練の具体化でした。当時は現在と全く異なり、日本アルプスを遥かに超える厳しい寒冷環境にどう耐えるかが極めて重要な課題でした。ヒマラヤ挑戦のための耐寒能力の確認と国内での冬季初縦走というパイオニアワークを重ねた計画であった。
2.速報「地震直後のネパールランタン谷報告」 大阪市立大学山岳会 片岡 泰彦
大阪市大はランタン谷には縁が深く、日本隊最初のヒマラヤ遭難は当会のランタン・リルンに始まっおり、ここ5年間「市大ランタンProj.」としてランタン谷へ登山隊を派遣してきた。今年は最奥のランタン・リの登山中に今回の地震に遭遇した。地震直後のランタン谷の状況写真を紹介された。会場のスクリーン一杯に映写された秀麗なランタン・リ山頂&山容、その地震直後の変貌ぶりが痛ましく、ランタン谷全域の被害の甚大さを象徴しているように感じた。
3.「ブータンにおける学校教育の歴史的変遷」-学校教育100年史-
早稲田大学教育・総合科学学術院 教育総合研究所助手 平山 雄大
ブータンにおける近代学校教育の誕生はおよそ100年前まで遡ることができる。1950年前後からは一般に開かれた学校教育が行われ現在に至っているが、特に先行研究や史資料が乏しい1990年代以前の状況に関しては不明点が多く、その詳細を描出することは難しい。同国の近代学校教育史を「黎明期」、「草創期」、「拡充期①」、「拡充期②」に分け、新情報を交えその変遷を概観された。50年前から、授業は英語で行なわれているとのことである。
4.「中央アジアの山国 タジキスタン、美しき自然と暮し」-パミールの遺跡を中心に-
長距離サイクリスト、日英会議通訳、パミール・中央アジア研究会理事 井手 マヤ
2005年以来ワハンを含めタジキスタンを7回旅行し、パミール各地の遺跡を視察した。19世紀以降ワハンを通過した探検家は数多くいるが、第2次大戦後のソ連時代までに古代遺跡を調査したのは、僅かに1890年代のオルフセン率いるデンマーク隊とハンガリーの考古学者オーレル・スタインのみ。今回は主にデンマーク隊とスタインの報告書、及びご自身の現地視察に基づき、ワハン及びタジキスタン領パミールの遺跡を中心に紹介された。
5.「 納豆の起源」-照葉樹林帯を横断、納豆文化の多様性を追う-
名古屋大学大学院環境学研究科教授 横山 智
多くの日本人は、ネバネバと糸を引き、独特の臭いを放つ納豆は、日本の伝統食だと思っています。しかし、1970年代前半に、納豆は東南アジアやヒマラヤでもつくられていることが『照葉樹林文化論』で示されました。また中尾佐助の『料理の起源』(NHKブックス)では「納豆の大三角形」という説が提示され,納豆は中国雲南省で発祥したと論じられました。ところが,その後,納豆の起源を探る学術的調査は全く実施されていません。本発表では、これまで謎とされてきた東南アジアとヒマラヤの納豆文化の広がりを、多くの写真やデータを示しながら紹介し、納豆の起源に迫っていきます。2014年11月、『納豆の起源』を著わし、NHKブックスから出版している。
6.「東南アジアの環境変動とサルの進化」-500万年の化石記録を読み解く-
京都大学霊長類研究所教授、AACK 高井 正成
ミャンマーと中国南部で行っている鮮新世~更新世(約500万~15万年前)の霊長類を中心とした陸棲動物化石の発掘調査を継続しています。現在の東南アジアは雲南省南西部の横断山脈とその間を流れる大河が複雑な地形を形成し、さらにアジアモンスーン気候による季節性が特徴となっています。この東南アジアに生息する霊長類の進化史と、その背景となっている環境変動について話された。