次に、『流氷~知床岬から縦走、1971年3月』 を、山岸 久雄 氏(京都大学山岳部、当時3回生)からご発表をいただきました。
【添付資料】
20150627-33-01b-席上配付資料:流氷~知床岬から縦走、1971年3月:山岸.pdf
20150627-33-01b-プロジェクタ資料:流氷~知床岬から縦走、1971年3月:山岸.pdf
京大山岳部の1971年3月の記録と共に、1952年12月の厳冬期に知床岬より知床岳間の初縦走に成功した、その時の記録も簡潔に紹介した。1952年(昭和27年)の計画は、ヒマラヤに挑戦する為の耐寒訓練の具体化でした。当時は現在と全く異なり、日本アルプスを遥かに超える厳しい寒冷環境にどう耐えるかが極めて重要な課題でした。ヒマラヤ挑戦のための耐寒能力の確認と国内での冬季初縦走というパイオニアワークを重ねた計画であった。