4番目には、『茶の原産地としての雲南』と題して、松下 智氏((茶の文化振興会) 豊茗会会長、(元)愛知大学教授)の発表をいただきました。
【添付資料】
20151219-35-04-松下ー席上配付資料ー茶の原産地としての雲南.pdf
20151219-35-04-松下ープロジェクタ資料ー茶の原産地としての雲南.pdf
中国の長い歴史のなかで、西双版納が明記されるのは、新中国設立後である。新中国設立以前は、その辺りは、タイ族により12の区分で支配されていた。西双版納の多くの民族は、茶の飲用以前はビンローの嗜好があった。茶の原産地究明は西双版納については明らかにならないが、西双版納東部山地に続くラオス、ベトナムの産地で解明されつつある。
今回は、雲南と雲南周辺の地域を視野に置いて、茶の原産地に係る研究の成果を紹介された。
以下、配付資料から抜粋して転載します。
茶の木を見ると、江南の中心地とみられる洞庭湖の西側山地「武陵山」まで、雲南地方から数千年余の年月で、たどり着いたのではないかと推測される。そして、この武陵山の山地に住む蛮族、瑶族によって、利用が始まり、現在まで広く伝えられてきたのではないか、と考えられる。瑶族は、盤王を神として崇拝しているが、これは漢族の崇拝する神農と同時期に始まっている。茶の木が育つ武陵山から、北方の漢族の住居地まで、茶が送られてきたわけである。
雲南省西双版納の民族が茶の木を利用するようになったのは、宋代、元代、さらに明代になって瑶族が西双版納に移住するようになってからではないか、と考える。
西双版納の茶といえば、勐腊県の北西に発達した「六茶山」と云われる古い茶産地があるが、現在では、茶産地としての面影は見られない。
しかし、瑶族と同じ時代に開発されたとみられる「基诺山」だけは、基诺族によって現在も茶産地として発展している。