3番目には、近藤 和美氏(登山家、高峰ガイド)から、『パミール・天山7,000mの峰々からヒマラヤの高峰へ 〜タジキスタン、キルギス、カザフスタンの山々、8,000m峰9座の山頂〜』と題した発表をいただきました。
【添付資料】配布資料:パミール・天山7,000mの峰々からヒマラヤの高峰へ.pdf
1972年30歳より海外登山を始める。1984年、42歳で旧ソ連邦に属する7,000m峰に通い始め、89年に4座目のハン・テングリ登頂でソ連山岳連盟から贈られるSnow Leopard賞を受賞した。5座めとなるポベーダ峰を登頂した1991年に、名実ともに7,000m峰全5座完登の称号(雪豹登山家)を得た。西側登山家で最初の5座完登者となったが、その年の末にはソ連邦が消滅してしまったので、結局、ソ連邦岳連制定としては、最初にして最後の西側雪豹登山家となった。
5座とは、イスモイル・ソモニ峰7,495m(タジキスタンの最高峰)、レーニン峰7,134m、コルジェネフスカヤ峰7,105m、ハン・テングリ峰7,010m、ポベーダ峰7,439m(天山山脈の最高峰)である。
1992年50歳で8,000m峰初挑戦(チョーオユー)、その後も8,000m峰に挑戦し続け、2011年69歳でローツェに登頂し、8,000m峰9座に登頂した (うち5座で無酸素登頂。61歳の時のガッシャ―ブルム2峰は日本人8,000m峰無酸素登頂の最高齢記録)。8,000メートル峰9座登頂は、山田 昇、名塚秀二、田辺 治(いずれも故人)と共に、全14座達成の竹内洋岳に次ぐ日本人2位の記録となっている。
演者の活動領域は、国内冬期登攀が下地になって、アルプスでの登攀、インドヒマラヤへと進展させてきたが、8,000m峰での活動の自信になったのはパミール・天山である、という。「6,000m超の山への登山は延べ約75回、内8,000m峰へは20数回となっています。そしてその殆どの山行でリーダーやガイドを務める、即ち『登らせる側』であることに誇りを持っています。」と穏やかに語られた。
高峰登山や山と旅の様子、来し方への想い・教訓など等、極々一端を紹介していただいた。簡潔明瞭で澱みの無い語り口は、聴く人の心を魅了した。ごく近い将来の、雲南懇話会への再来(2回目の講演)を約束していただいている。