最後に、近藤 和美(登山家、高峰ガイド、日本勤労者山岳連盟名誉会員、日本山岳協会国際委員、Snow Leopard award 受賞者、8000m峰9座登頂者)から、『ヒマラヤの高峰登山 〜20数回に及ぶ8000m峰への登高行〜』と題した発表をいただきました。

【添付資料】

席上配布資料:近藤和美氏、自己紹介文.pdf

席上配布資料:総括表、8000m峰遠征リスト.pdf

 講演者は第40回懇話会(シルクロードゆかりの地域特集)で主にパミール・天山での登頂の様子について講演されたが、ヒマラヤ8000m峰については言及する時間が無かった。そこで今回の講演では、自身が登頂した8000m峰に的を絞り、現場で撮影した貴重な写真をもとに、じっくりとヒマラヤ高峰登山について語っていただくことになった。

 講演者は1992年、50歳にして初の8000m峰チョーオユーを無酸素で登頂して以来、26年間で22回、8000m峰に挑んだ。最初のチョーオユーを除き、全ての隊で隊長を務め、自身も9座に延べ10回登頂した。61歳の時に登頂したガッシャ―ブルム2峰は8000m峰無酸素登頂の日本人最高齢記録であり、未だ更新されていないという。これら数々の8000m峰登山の様子が、順を追って見事な写真で紹介された。そこの現場に行かない限り、撮影できない写真がたくさん映写され、8000m峰の世界を垣間見る思いであった。写真枚数が多いため、講演者はスライドが30秒毎に自動更新される設定で話されたが、思い入れのある写真のところでは、話し足りない様子が伺われ、申し訳ない気がした。

 今年76歳を迎える講演者の最近の登山については、近年の労働情勢により長期日数を要する超高峰への同行者が得難くなり、自身の体力低下も相俟って、8000m峰への挑戦は難しくなっている。しかし、夢は持ち続けたいとのこと。2017年はヤラ・ピーク(5520m、ネパール)南東面で順応登山の後、スパンティーク(7027m、パキスタン)を単独で目指した。想定を超える悪天候続きのため6000mで撤退されたが、今もなお意気軒高である。

 超人的な山歴を持つ講演者の体力、技術、判断力の成長曲線はどのようなものであったか?との問いに対し、体力のピークは誰しも20歳代だろうが、体力の衰えを技術がカバーしてくれる面がある。そのため55歳までは若い者に後れをとると感じることはなかった。技術は難しい登山経験を積めば向上するが、体力が衰えると技術レベルを維持できなくなる。体力と技術はお互いに関係し合っている。判断力については(経験とともに向上するとは限らない)、常にヒマラヤに行き続けているため、正しい判断力が維持できている。山行にブランクがあれば、判断力は低下するだろう。高峰登山では判断力というよりも、決断力が求められている…と語られた。

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