3番目に、岩間 真知子(人間文化研究機構「アジアにおける「エコヘルス」研究の新展開」共同研究員)から、『茶と雲南 〜中国と日本の資料、医薬書から見える茶の姿〜』と題した発表をいただきました。

 雲南は茶樹の原産地と言われている。また雲南で造られる普洱(プーアル)茶は、独特の風味と効能で知られ、日本でもダイエット効果のある茶として人気がある。しかし雲南における茶の歴史については、あまり知られていない。講演者は中国の古典医薬書に雲南の茶の記述を見つけたのを端緒として、雲南の茶の歴史について、次のようにまとめられた。前漢代、雲南で既に茶樹の栽培が行われたといい、三国・魏の傅巽は「七誨」に南中(雲南と推察される)の特産品として「南中の茶子」と茶を挙げ、唐の王燾の医書『外台秘要方』(752年)も「南中の温茶は、多く喫してはいけない」と記す。一方、唐の陸羽は『茶経』(761年頃)において、茶の産地に雲南を挙げない。晩唐の樊綽は雲南の地誌『蠻書』で「茶は雲南の諸山で採れ、椒(さんしょう)や薑(しょうが)、桂(にっけい)と一緒に煮て飲む」と記す。元の『雲南志略』は茶の交易を記すものの多くはなかったようだ。明代から普洱茶は広まり、清代には皇帝にも献上され、政府は雲南に総茶店も作った。そして清代の最高の薬書『本草綱目拾遺』に、普洱茶は取り上げられるようになるのである。講演後半では茶の医薬としての性質が「温」(身体を温める)であるか、「寒」(身体を冷やす)であるか、が主題となった。古典医薬書によれば、緑茶は寒であるが、発酵加工された茶(普洱茶、武夷茶など)は温であるという。発酵により茶の成分(カテキン類)がどのように化学変化し、身体を温める効果をもつにようになったか、について考察が語られた。 講演者は過去20年以上にわたり、中国のチベット地域へ通い、研究を続けている。20世紀末以降、世界中に影響力を拡大してきた中国は、いま大きな社会の転換期にあるが、海を挟んだ東の隣人である日本人の中国理解は断片的な情報により、いつも限定されがちである。こうした状況を打開するには、有史以来、中国の西の隣人であったチベット系の人々の知恵を借りることが有効である。彼らが中国とインドという二大国の狭間で敬虔な仏教徒であり続けたことは、日本人の未来を考える上で示唆に富んでいる。講演では、中国が「アジア仏教の盟主」たることをうたってネパールとの国境地域で進めている開発案件を取り上げ、日本を含むアジア諸地域の「仏教をめぐる政治」の動態を幅広く視野に収めながら、ヒマラヤを越えて南アジアへ出ていこうとする中国の存在感が、ローカルなレベルでどのように受け止められているかについて、在地チベット系民族集団の目線からの検討が行われた。

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