3番目に、根本 敬(上智大学総合グローバル学部教授)から、『ロヒンギャ問題はなぜ解決が難しいのか 〜その歴史的背景について考える〜』と題した発表をいただきました。

 ロヒンギャはミャンマーのラカイン州に住むムスリムの人々で、インドのベンガル地方(バングラディシュ)を出自とし、ベンガル語チッタゴン方言のひとつ、ロヒンギャ語を話す。2017年8月、60数万人のロヒンギャがバングラディシュへ難民となって流出し、深刻な問題となっている。しかし、この難民流出は昨今生じたものではなく、1970年代後半以降、3度起きており、彼らは長期にわたり国家により抑圧されてきた。

 講演者はロヒンギャ問題の歴史的・政治的背景を紐解き、なぜビルマは政府・軍・国民一体となって彼らを排斥するのか解説された。ラカイン地方には昔、アラカン王国があり、15世紀以降ムスリムの人々が居住していた。1826年~1941年、ラカイン地方は英領化され従来の国境が消えたため、インドのベンガル地方からムスリムの人々が流入し定住するようになった。その後、第2次世界大戦後の混乱期にも流入があった。1950年代にはロヒンギャ語による国営放送が隔週で許されるなど、ロヒンギャが一定程度、国民として認知された時期があった。しかし、1971年に第3次インド・パキスタン戦争が起こり、バングラディシュから難民が流入し、多くは定住したが、バングラディシュとの往来も比較的自由に行った。このことが、ミャンマー国民にロヒンギャ=違法ベンガル移民のイメージを決定づけ、その後の排斥につながった。 

 2016年4月に国家顧問(大統領より上の立場)に就任したアウンサンスーチー氏はロヒンギャ問題の深刻さを認め、アナン元国連事務総長を委員長とするラカイン問題調査委員会を発足させ、問題解決に向けた答申を2017年8月に公表したが、公表の翌日、アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)の軍施設襲撃が起き、それに対する軍の激しい報復、住民の大量難民流出へとつながり、せっかくの答申を活かしにくい状況になっている。

 ロヒンギャを排斥しようとする軍、国民の壁を前に、スーチー氏は非常に難しいかじ取りを強いられながらも、短期的には難民の安全な帰還、中長期的にはアナン委員会答申に沿って、ロヒンギャ問題解決に取り組む姿勢を抱いている。国際社会はスーチー氏に対し、非難ではなく、バックアップすることが求められていると指摘された。

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