次に、髙橋 信雄 氏(花巻市博物館長)から、『多田等観と宮沢賢治 〜チベットに捧げた人生と西域への夢〜』と題した発表をいただきました。

 多田等観は1911年、秋田中学を卒業後、西本願寺に入山。大谷光瑞の意向で1年間、チベットからの留学生と随行者3人の世話をしながら、チベット語を習得し、翌年、帰還する留学生に付き添ってインドに渡った。1913年、西本願寺からのチベット入蔵命令書を受け取り、単独でヒマラヤ(ブータン)を越え、チベットに入った。チベットでの等観は、ダライ・ラマ13世の庇護の下、約十年間修業し、外国人としては初めての最高学位ゲシェ-(大僧正)に任じられた。帰国に際し、大乗経を始め、数々の仏典、仏画、仏像等を持ち帰った。帰国後、等観は東京帝大の嘱託や東北帝大、東京大学の講師を歴任。「西蔵大蔵経総目録」等の作成により1955年、日本学士院賞を受賞した。等観の持ち帰った資料や、帰国後ダライ・ラマ13世の遺言で送られてきたチベットの秘宝といわれる「釈迦牟尼世尊絵伝」は戦火を免れるため、等観の弟が住職を務める花巻の光徳寺に送られ、現在では花巻市博物館が保管。随時公開されている。
 多田等観をチベット滞在中から支援し、帰国後も世話をしたのが盛岡市願教寺の住職であり、東京帝大教授でもあった島地大等である。大等は第1次大谷探検隊の隊員であり、宗派にとらわれない各宗派に通じた仏教学者であった。自身は浄土真宗の僧侶でありながら、天台哲学の権威でもあった。
 童話作家・宮沢賢治は、盛岡中学を卒業後、大等が著した「漢和対照妙法蓮華経」に出会い、感銘を受け、法華経信者となる。賢治の作品の中には、西域異聞三部作童話(雁の童子、インドラの網、マグノリアの木)に見られるように、西域の地名やチベットを窺わせる情景の表現がしばしばみられる。賢治は島地大等を介して、多田等観が見聞した世界に大きな影響を受けたのであろう。

 

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