金子民雄氏による『能海 寛のたどった道』(ヒマラヤ学誌9号、2008)を、京都大学ヒマラヤ研究会(発行者)及びヒマラヤ学誌編集委員会(編集責任者;松林公蔵京都大学教授)の承諾を得て、掲載しています。これは、第6回雲南懇話会のご発表内容でもあります。

能海 寛のたどった道

金子民雄(歴史家、中央アジア研究家)

今からざっと100年前、中国西南の省・雲南で、一人の日本人僧が行方不明になりました。東本願寺系の能海寛(のうみ ゆたか)という人物です。彼は正しい仏典を日本に将来することを念じ、チベットに向かいました。最終目的地はラサです。しかし、当時のチベットは外国人の 一切の入国を認めませんでした。そこで彼は変装し、数度の試みをしますが、遂に金沙江上流(揚子江;長江の上流)で消息を絶ちます。彼の身に何が起きたの か、殺害されたのか、それとも事故と見せかけて現地の僧院に身を隠したのか、未だ明確ではありません。彼の調査がいつか曖昧になり、事実すら歪曲されてい くようになります。彼の人間的性格のためだったのか、軍関係の隠蔽工作だったのか、当時の雲南をめぐる清・英・仏の社会事情に起因があったのか、これらの 点も考慮に入れて、改めていま一度この事件を追ってみたいと思います。<以下は、第6回雲南懇話会(2007年6月30日開催)でお話いただいた内容の要 旨である。>

(以下、添付ファイルをご参照くださいませ。)

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