茶話会も75名が参加され、懇親を深めました。東北の銘酒・秩父の銘酒・筑波の珍しい日本酒・貴重な焼酎など等差入れもありました。お陰様で、用意した酒肴は全て無くなりました。お名前は控えますが、差入れいただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
(撮影:長岡正利)
次回は、2011年7月9日(土)に東京市ヶ谷のJICA研究所で予定しています。内容が固まり次第、別途ご案内致しますので、よろしくお願いします。
概要
第18回 (2011年4月23日(土)、東京市ヶ谷・JICA研究所-国際会議場) | |||
演題 |
発表者 |
所属 |
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1 | 雲南西北部の旅-第8回雲南Field work、2010年秋 -変化の激しさと多民族共生の重要さを実感- |
中北 宏八 | 元) 朝日新聞記者 前) 呉大学 |
2 | 南詔国・大理国の歴史と雲南白族の歴史観 -阿嵯耶観音伝説を中心に- |
立石 謙次 | 東海大学 |
3 | ブータン王国、国民総幸福(GNH)という開発理念と農村開発 | 河合 明宣 | 放送大学教養学部 |
4 | 剱沢幻視考 -駆り立てられた山々「冬黒部、剱、海外の山々」- |
和田 城志 | サンナビキ同人 |
5 | 極地から地球を見る -しらせ探検から100年目の日本の南極観測- |
山岸 久雄 | 国立極地研究所 AACK |
2014/1/13 後日配付資料を追加
まず、『雲南西北部の旅-第8回雲南Field work、2010年秋 -変化の激しさと多民族共生の重要さを実感-』と題して、中北 宏八 氏(元) 朝日新聞記者・前) 呉大学教授)のご発表をいただきました。
≪以下、講演要旨よ り≫
2010年11月、第8回雲南Field workに参加した。標高1900mほどの省都昆明を基点に、北西710km、標高3300mほどのシャングリラ(香格里拉)との間を往復した。雲南大学 のバスで、麗江、大理などを回った。チベット族、イ族、ペー族、ナシ族などの少数民族が多く住み、雲南とチベットとを結ぶ交易で栄えた茶馬古道を辿る旅で あった。初参加の私は、中国旅行僅か3回目にすぎないが、巨大中国の激しい変貌を実感し、盛衰の歴史を経て多民族が共生する姿に今後の世界のあり方を示唆するとさえ思った。
なお、このField Workに基づく論考が、ヒマラヤ学誌第13号に掲載されております。また、詳細な旅行記は、中北様のブログに掲載されています。ご参考まで。
http://pub.ne.jp/knaka/?entry_id=3395741他
4番目には、和田 城志 氏(サンナビキ同人)から『剱沢幻視考-駆り立てられた山々「冬黒部、剱、海外の山々」-』と題した発表をいただきました。後半は、未発表写真を含む黒部・ナンガパルパット等のスライドを見せていただきました。
≪以下、講演要旨よ り≫
山 -その駆り立てるもの- 山岳雑誌『岳人』に連載した「剱沢幻視考」の中から、冬の剱岳、雪の黒部、そしてナンガ・パルバットの魅力を語りながら、私の目指してきた登山をお話します。
未踏峰とバリエーション登攀の時代背景は大切です。山に登る魅力はどこにあるのかも、模索してみたいと思います。当然、登山におけるパイオニアワークにも言及すると思います。今どきのテーマではありませんが、私の辿ってきた道には不可欠です。元登山家の愚痴として聞いていただければ、幸いです。
(撮影:和田 城志, 他)
参考資料「登山における困難とは何か」 (文科省国立登山研修所発行「登山研修」vol.9-1994、P7~13)
http://tozanken-tomonokai.com/CCP061.html
最後に、山岸 久雄氏(国立極地研究所教授(宇宙圏グループ)、AACK)から、『極地から地球を見る-しらせ探検から100年目の日本の南極観測-』と題した発表をいただきました。
≪以下、講演要旨より≫
アムンゼン、スコットが南極点に到達した1911年~1912年、開南丸という小さな船で南極海に挑み、氷原を犬橇で走り、南緯80度に到達した日本人たちがいた。白瀬中尉を隊長とする南極探検隊である。今年は、この探検隊の出発から100年。白瀬の辞世の歌「我れ無くも必ず 捜せ南極の地中の宝世にいだすまで」に応えるかのように、日本の南極観測は今年で54年目を迎え、地球の環境を知る上で宝となる観測成果を世界に発信し続けている。最近の観測成果と、それを支える観測隊員、南極基地の生活を紹介する。