皆様のご支援、ご協力に感謝します。
ご講演いただいた講師の皆様、ありがとうございました。
(撮影:ブインデリゲル)
第24回 |
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日時;2013年3月30日(土)13時00分~17時30分。その後茶話会 |
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演題 |
発表者 |
所属 |
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1 | ヒマラヤの自然の聖地, その1 -ブータン東部の女神伝説- | 小林 尚礼 | 写真家, AACK |
2 | 高校生に夢を! 夢舞台/ 崑崙の未踏峰へ -ヤズィックアグル峰(6770m)初登頂の記録 (2011年)- | 大西 浩 | 信濃高等学校教職員山岳会, 2011年隊登攀隊長 |
3 | ベトナム北部の茶と米食文化 -首都ハノイを中心として- | 長坂 康代 | 京都大学Global COE (親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア拠点)研究員 |
4 | 北の紙の道、南の紙の道 -樹皮紙、ダード・ハンターの残した空白- | 坂本 勇 | 文書修復家, 元)吉備国際大学教授 |
5 | 中国少数民族の自治と慣習法 −悠久、雄大、多様の大地へ− | 西村 幸次郎 | 山梨学院大学大学院法務研究科教授、一橋大学名誉教授 |
次回第25回雲南懇話会は、2013年6月22日(土)、東京市ヶ谷のJICA研究所で開催致します。内容が固まり次第、別途ご案内致します。
ブータン東部のタシガン県に伝わる女神伝説、アマ・ジョモについて紹介し、年一回7月に行われる女神に関連する聖地での特別の祭りについて写真を中心に紹 介した。また、普通入ることの出来ない寺院に、観光プロモーション用の壁画・像の写真を撮る為、特別入ることを許可された。これらの珍しい、貴重な写真を 一部、紹介した。
信高山岳会創立30周年及び長野県山岳協会50周年にあたる2011年、会の原点に立って、教師自身が夢を育み、夢に挑み、得たものを、今後の高校登山の 活動に反映させ、更に多くの子どもたちに夢を伝えたいという思いから、西部崑崙山脈の未踏峰(6770m)に挑戦し、登頂に成功した記録である。
この山は、懇話会の代表を務める安仁屋にとって、少なからぬ因縁がある。
安仁屋らは2009年7月にAACK会員5人でこの山を目指したが、出発直前に発生したウルムチ騒動により、渡航を断念せざるを得なかったからである。しか し、演者等は偵察行とはいえ09年に同じ経験をしながらも、翌10年の偵察行(大雨による道路事情の悪化により、失敗)など継続して登頂を目指し、2011年に成功した。長野県の登山関係者と新疆地域のエージェントとの長年にわたる交流・信頼に根付く執念の違いであろうか。準備期間その他の関係で、 高校生を連れて行くことは出来なかったが、長野県出身の若手OBの参加を得て成功した話は、次のステップに繋がるであろう。
雲南懇話会で最近力を 入れている「お茶」に関する話題である。ベトナムでは、世界を席巻しているコーラが普及していない。その理由はお茶である。タイグエン茶(緑茶)が一般的 で、飲む場所として「内」の茶屋と「外」の茶屋がある。外の茶屋にはさらに固定茶屋と移動茶屋がある。演者は固定茶屋に焦点を当てて機能や客層など詳しく 説明した。単なるお茶の提供に止まらず、コミュニティの形成にとって重要な役割を果たしていることを、客の細かい観察・分析から明らかにしている。近年ハ ノイでもコーヒーが浸透し始めているが、お茶の8〜10倍するので一種のステータスシンボルとなっている。コーヒーを飲む場所、値段で客層を4つのグルー プに分け、コーヒーと同時に食する米食を分析した。茶文化の懐の広さ・深さを改めて認識した。
参考資料1:経済開放後の都市ハノイにおける茶生活資源とコーヒー観光資源
http://www.asahibeer.co.jp/csr/philanthropy/ab-academic/image/pdf/report/2008/10.pdf
「茶、カフェ」そして「米食」に関連して、公益財団法人アサヒビールグループ学術振興財団「2008年度研究助成報告」にある長坂氏の論考を配布しました。
茶が民衆文化であること、コーヒーが富裕層を中心に浸透し始めた当時の様子から、ファストフードが入らない「ローカル文化の抵抗」について、記述されています。
参考資料2:ベトナム・ハノイの都市民衆による互助と協力―ハンホム通り「ハビ亭」をめぐる公共圏の構築について―
http://kantoreikai.blog.fc2.com/blog-entry-36.html の『第2報告』
「ハビ亭と宗教祠堂」に関連して、2013年度東南アジア学会関東例会「2013年1月議事録」にある、長坂康代氏の「報告要旨」とコメンテーター三尾裕子氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)のコメント、質疑応答を、参考までに添付しました。
北のシルクロード沿いに、ヘディンらにより発見された古文書や残紙を用いた調査研究は、素材が多く広く知られてきた。近年、東南アジア・太平洋地域におい て オーストロネシア語族の調査研究が、考古学・人類学・民族学・言語学等の諸分野で発展し、樹皮紙/樹皮布についての情報が増えている。
演者は紙の専門家として、中国、インドネシア、メキシコ等で発見されている神秘的な「透かし模様」の石器ビータに注目している…という。
JICA エキスパートとしてインドネシア・バンダアチェで津波の被害を受けた文書の修復事業に3年間携わった時に行なった調査で、ダード・ハンターの「世界の紙の伝播マップ」で東南アジア地域が空白になっていることが、調査・研究をスタートした切欠である。紙の製法として古くは樹皮をたたく方法があり、樹皮紙は世 界に広く分布していた。インドネシアでは樹皮紙の技術が高度に発達していて、その歴史は布と紙の混在時期を含める3,600年前ぐらいまで 遡る。会場では樹皮紙で作った400年ぐらい前の本を見せてもらい、触らせてもらったが、実に素晴らしい物であった。
悠久、雄 大の大地は、人口、人権・自由、環境、民族など多様の問題を抱え、日中関係も厳しい状況が続いている。演者は、これまでの少数民族地域における視察・交流 を踏まえ、民族法研究の意義を確認し、民族区域自治制度、中華民族の多元一体論、西部大開発との関係、民族の風俗習慣、民族慣習法と国家法、婚姻法の「弾 力的補足的」規定の順に検討し、中国社会における民族問題の重要性、問題性を考える…として講演された。
演者が中国の民族法に興味を持ったのは 1988年の海南島旅行からで、その後、何遍も現地を訪れて20 余の少数民族と交流し調査を行ってきた。従って、内容は盛りだくさんで多岐にわたった。参加者のある人曰く、「1年間の講義を1時間でやったようなもので すね」。同感。特に興味を持ったのは、共産党になって以降の少数民族の風俗習慣の扱い方の変化である。尊重(1949〜1956)、軽視(1957〜 1965)、排斥(1966〜1976)、改革期(1977年以降)とあった。最後にNHKの名曲アルバムから「草原情歌」を青海省の映像と共に流した が、氏の少数民族に対する思いが伝わった。
(ウェブサイト管理者より:添付のプロジェクタ資料は、写真を1枚抜けておりましたので、2013/4/28に差し替えいたしました。)