安仁屋 政武氏による『キリマンジャロの登山と調査』(ヒマラヤ学誌 No.16, 184-193, 2015)を、ヒマラヤ学誌編集委員会(編集責任者;松林公蔵京都大学教授, 奥宮清人京都大学准教授)の承諾を得て、掲載しています。
【添付資料】hsm-16-184-193-キリマンジャロの登山と調査:安仁屋.pdf
{gallery layout=flow height=96 alignment=left-clear}hsm/201503-16/184-aniya{/gallery}
キリマンジャロの登山と調査 安仁屋 政武 1995年9月、アフリカの最高峰キリマンジャロ(5895m)に登る機会があった。ルートは、タンザニア側の一番西のマチャメ・ルートから山の南面をトラバースして登頂し、一番東側の一般ルート、マラング・ルートから下るもので、5泊6日の行程であった。途中、氷河地形(主にモレイン)や周氷河地形(構造土)、氷河などを観察するために、ラヴァ・タワー小屋跡、アロー氷河小屋跡(4800m)を経由した。バランコ小屋の周辺には大きな最終氷期?のモレインが多数分布している。また、Breach Wallからバランコ谷の上部にかけて完新世?のモレインが目の前に広がっている。バランコ小屋からはいくつものモレインを観察しながらバラフ小屋へ行った。最高峰のウフル・ピークには9月13日午前5:10に到着した。下山途中のマラング・ルートのキボ小屋(4750m)から下では、多角形土、階状土、条線、ソリフラクション・ロウブなどさまざまな周氷河地形が見られた。地図の比較(1950年代、1970年代、1980年代)によると1950 年代からの氷河の後退は顕著で、文献によると、1953年から1989年の36年間で面積が6.7km2から3.3km2と半分以下になっている。 (以下、添付ファイルをご参照くださいませ。) |